それは正義なのか、その選択肢は妥当なのか
先日「高校生がネット署名を募って菓子メーカーに「過剰包装」の見直しを求めた件」について書いた。なぜいきなりネット署名なのかというのが記事を書く動機だったのだが、それはいわゆる自粛警察に通じる心理を感じたからではないかと思う。
自粛警察とは、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う、飲食店や県外ナンバーの車など、他者への嫌がらせや器物損壊行為を指す。動機には正義感が含まれるかもしれないが、何をしてもよいのだろうか。
上記のネット署名についても、プラスチックごみについての問題意識は立派かもしれないが手段としては妥当ではないと私は感じた。それは、社会的影響を十分考慮したとは言えないのではと疑問を感じたからだ。
ネット署名に関してはネットリテラシーの問題
これは、ネット署名という手段に関して言えばネットリテラシーの問題なのかもしれない。手段の容易さと影響の大きさを考慮すべきということだ。リアル社会で飲食店に嫌がらせの張り紙をしたり、車に傷をつけたりするのはまずいということくらい分かると思うが、ネットだと相手が目の前にいないのでイメージしにくいのかもしれない。
どんな手段があり、どの手段を選択すべきか。その点をよく考えなければ自分を守れないし、相手を傷つけることになる。
そもそもネットリテラシーが変化しているのかもしれない
当該署名は高校生が始めたとのことだ。高校生というとZenlyという位置情報共有アプリが流行っているというネット記事を見て驚いたことがある。自分が今どこにいるのかを共有するなど、自分にはちょっと考えられない。情報を共有する相手を間違えてしまうかもしれないし、相手がどこに情報を流すかコントロールできないからだ。そもそもサービスを提供する企業が情報をどう扱うかについて私は信用していない。
しかし、そのようなアプリを使う人たちはリスクを承知なのかもしれないし、あるいは便利さを享受するためにリスクに対して目をつぶっているのかもしれない。
ネットリテラシーが不足しているのか、又はネットリテラシーそのものが変化しているのか。私が前者だと思う場合でも、後者だということもあるだろう。それでも、理解はするが受け入れることは難しい。つまり、他人がZenlyを使うことに口をはさむつもりはないが、私はZenlyを使わない。
自分の情報は自分で守る
人と付き合うと、連絡やファイル共有のためにSNSなど無料ツール(サービス)の利用に引き込まれざるを得ない。特に、自分よりも情報の開放度が高い人とは、場合によっては当該サービスを介した関わりを絶ったり別の手段を講じてもらったりする覚悟が必要になってくる。自分の情報についてのリスク管理をどうするかが課題である。

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