先日、東京都美術館で開催中のコート―ルド美術館展を見に行ってきた。目的はセザンヌ。その作品が多数展示され、「カード遊びをする人々」も見られるとのことで、一度実物を見たいと思っていたためだった。
もともとセザンヌの作品が特に好きというわけではない。むしろ、作品が極めて高く評価されていることを不思議に感じており、実物を見れば何かわかるだろうと思ったのだ。
で、結果はやはりわからなかった。「カード遊びをする人々」は水平が取れていないし、他の絵も含めて塗り残しのような部分が多い。近くで見ると、この絵は本当に完成しているのか不思議に思うくらいである。美術展そのものは見ごたえのある作品が多数あって満足しているが、当初の目的は宿題になってしまっていた。
その後、書店で「いちばんやさしい美術鑑賞」という本に出会った。著者は美術ブログ「青い日記帳」で有名なTakさんこと中村剛士さん。ここに、答えが書かれていた。
要するに、写実性を無視したことが革命的であったらしい。そして、塗り残しは、
「それ以上筆を入れることを必要としない箇所であり、それで彼の中では十分作品として完成しているのです」(同書ロケーション2810の785)
「いちばんやさしい美術鑑賞」 (青い日記帳(著) 筑摩書房 (2018/8/10) )
というのだ。
19世紀後半は写真の技術が発達し、記録媒体としての絵画は写真にその座を奪われつつあった。また、絵にキャンバス地が見えていることは未完成であると思われていた。そのような当時の常識を打ち破ったセザンヌはすごいということのようだった。
なるほど、とは思う。頭では理解する。しかし、下地が見えている絵は描きかけのように思えるし、傾いている絵は落ち着かない。セザンヌのしたことは革命的だったかもしれないが、絵だけを見るとやっぱりちょっと下手だなと思ってしまうのである。
セザンヌは、絵の下書きを何十回も繰り返したらしい。その上での塗り残しや傾きは考え抜かれたものなのだろう。自分にとってこれだけ気になるということは、何かひっかかるものがあるのだろう。もう少し調べたり考えたりしていきたい。


コメント
こんにちは。「コートールド美術館展」に行かれたのですね。前日読んだ原田マハさんの書「ジヴェルニーの食卓」にセザンヌが主格となった物語か収録されていました。セザンヌの作品のことがよくわかります。機会があれば是非。既読でしたら失礼しました。